それでも僕はアジカンが好きなんだと思う

2011年の3月11日は、高校を卒業し、浪人生活に入るということで遊びまわってた時期だったと思う。

いままで体感したことのない揺れやテレビで見た東北の悲惨な光景は6年経った今でも鮮明に覚えている。

たくさんの人が亡くなり、膨大な悲しみが覆い尽くした日。

しかし、幸い、僕の近しい人が被害を受けることはなかったため、頭の中ではわかっているけど、その悲惨さを実感できない自分がいる。

 

唯一、僕がいまも実感できることがあるとすれば、「3月11日はアジカンが変わってしまった日」ということぐらいだ。

 

僕がアジカンに本格的にハマったのは、高校に入学しバンドを始めたころ。

それまではアジカンの楽曲と言えば、アニメ「ナルト」の主題歌であった「遥か彼方」ぐらいしか聴いたことがなかった。

しかし、バンドでアジカンの楽曲をコピーし始めてからは、もうそれは狂ったようにアジカンの音楽を聴き漁った。

そして、アジカンに影響を与えたアーティストの楽曲をたくさん知った。

特にアルバム「ソルファ」は僕が人生で一番聴きこんだアルバムと言っても過言ではないと思う。

楽譜を読むのが苦手(技術的にも精神的にも)な僕は、耳コピでなんとなく演奏をこなしていたけど、ソルファの中に収録されている「Re:Re:」は耳コピしようにもあまりにも難しく、けど楽譜を読んでも難しいものは難しいし、結局、聴きまくってニュアンスを掴むしかなかった。

たぶん一生で一番聴きこんだ曲は「Re:Re:」なんじゃないかなぁと当時を思い出して、懐かしい気分に浸ることがいまでもある。

高校生という多感な時期にアジカンの素晴らしいメロディーと詩に狂ったように触れられたことは、自分の人生の選択に大きく影響してると断言していい。

 

そんなアジカンフリークだった僕も、2010年に発売されたアルバム「マジックディスク」を最後にアジカンの楽曲を聴くことをやめてしまった。

 

その理由は「政治」だ。

 

2011年の震災後、アジカンの楽曲はガラリとその音楽性を変えてしまった。

「政治」というものをいままでとは比べ物にならないほどの質量で楽曲に盛り込み始め、それゆえ、楽曲はいままで僕が好きだったものとは、まったく異なるものになった。

 さらにボーカルの後藤正文(ゴッチ)がツイッターをはじめとして、様々な場所で「政治的主張」をストレートに表現するようになったのだ。

 

「大好きだったアジカンは死んだ」「マジックディスクでアジカンは死んだ」「アジカンはクソになった」

 

もう数えきれないほど、アジカンに対する不満が僕の頭に浮かんだ。

 

そして僕は震災以後の楽曲を聴くことをやめた。

 

しかし、震災以前の楽曲はいまだに聴くことが多い。最近アジカンを聴いてるときに

「なんでアジカンは死んだんだ?」

という疑問が僕の頭をよぎった。

 

「そんなの簡単だよ、ゴッチが音楽家のくせに政治に口出すようになったからだよ。」

 

そんな単純な答えはもう何千回も用意して、何千回もそこで思考を止めていた。

 

「なんでアジカンは死んだんだ?俺はそれについて真面目に考えたことはあったのか?本当にアジカンは死んだのか?」

 

 

結論から言う。

 

アジカンは死んでない。いつまでも僕のロックスターだ。」

 

 

たしかに僕が好きな楽曲を提供してくれる「アジカン」はもう存在しないんだと思う。

 

でも、アジカンは楽曲を作り続け、世の中へのアプローチを続けている。そのプレゼンスはいまでも、いや、作りだされる楽曲を嫌いになってしまった今だからこそ、僕にとって大きなものとなっているのは事実だ。

 

僕はこれからも「変わってしまった」以前のアジカンを聴き続けるし、このうえなく好きでいるのもゆるぎない事実。

 

もっと本質的なことを言うと、「アジカンの世の中に対するアプローチ」が「僕が魅了されたような楽曲を作ること」から「僕が政治的だと思う楽曲を作ること」に変わっただけの話だとも思う。

 

アジカンは世の中へのアプローチをずっと続けてきたし、今もし続けている。

 

アジカンが政治的になってしまったことへの嫌悪感は、ただ僕が好きだった楽曲を作ることをやめてしまったことに起因するにすぎない。

 

さらに言えば、僕はアジカンが変わってしまわなければ震災のことをいまよりずっと軽く考えていたと思う。震災のことを一番思い出させてくれるのは、僕にとってはアジカンの楽曲だ。

 

震災以後のアジカンに文句ばかり言っていたけど、本当は「アジカンが変わってしまったこと」は僕にとって、とても大切なことだったのだと思う。

 

 

メロスに「政治がわからぬ」と言わせた太宰も、「メロスとセリヌンティウスの滑稽なほど純粋な友情」を使って自分の葛藤を表現した。

「あんな友情なんてねぇよ。ばかじゃねぇの」と酒に酔い馬鹿にした笑いを浮かべながらあの物語を書いていたとしても、「太宰はあれほどまで純粋な友情を心のどこかで求め、悩み苦しんでいた」と僕は思っている。

どこか大学生のときの僕の気持ちに似ていて、愛おしくもあり、哀愁をもって思いを馳せてしまう。

 

悩んでいても仕方ないのはわかっていても、悩むしかないときはあって、それは責められるものではない。

けど、なにかきっかけを与えてもらったなら声をあげて行動しなければいけないときもある。

 

「政治がわからぬ」と言いながら行動したメロス。

あざ笑う人はいるかもしれないけど、それでいいじゃないか。行動しないよりましだ。

僕は、太宰がメロスをあざ笑ったと思っている。けど、たぶん本当はメロスになりたかったんじゃないかなとも思う。

 

僕は今、色々なきっかけをもらって、大学生のときとは「変わってしまった」。

 

メロスになりたいとは微塵も思わないけど、世の中に対してどのようなアプローチをしていきたいかは定まって、そのために日々を生きていけてると思っている。

 

アジカンが変わってしまった」ことによって、「自分が変わってしまったこと」を、この文章を書きながらあらためて実感した。

 

アジカンは政治的になったと僕は思っているし、今後発表される楽曲を聴く予定もない。

 

でも、「音楽で僕を揺さぶったロックスター」は、いま違う形で僕を揺さぶっている。

 

たぶん、これからもずっと揺さぶられ続けるんだと思う。

 

あのころの僕の中のロックスターは、これからも僕の中のロックスターであり続けるんだと思う。

 

大好きな音楽を提供してくれるアジカン、僕の青春を彩ってくれたアジカンはいなくなった。

 

けど、震災のことを「今の気持ち」にいつまでもリンクさせてくれるアジカン、「今の気持ち」をしっかりと自覚させてくれるアジカンは、僕にとってやっぱり大切な存在だ。

 

楽曲は嫌いだけど。

 

それでも僕はアジカンが好きなんだと思う。

 

アプローチは違うけれど、できるだけ多くの人が「何度でもオールライトと歌える」ような世界にしていくために、できるだけ頑張って行きたい。

 

そのことを改めて実感した日記でした。