ぬるさについて
ぬるさは甘え、一生懸命働け。なんて言葉が飛び交ったり、ぬるぬるで働きたい。みたいな言葉が飛び交ったり、まあいつの世もそんな感じなのかななんて達観してる気になってる自分が大好きだよ。愛してる。
ぬるさの強要は罪なような気がするけど、厳しさの強要は罪になりつつあるね。
拝啓
いまの世の中を作り上げてきたと豪語するご老人方。
「いまの若者は根性が足りない」とおっしゃるお気持ちはいかがですか。
根性で戦えない時代を作り上げていただいたことに深く感謝いたします。
安らかに、できるだけ苦しんでお眠りください。
敬具
死んで。できるだけ苦しんで。なんて思うことはあったりなかったりするけど、ぬるさのなかで生きていきたいよね。
ぬるさとかいうものは厳しさなのかなとか思ったりすることもあって、ぬるぬる生きていくには、ちょっと苦しい人間関係を受け入れるというより、手放していくようなイメージがふさわしいんじゃないかなって最近思ったりする。
ぬるさのイメージはいつも、沼でジャブジャブやってる感じ。別にジャブジャブがくだらないと思うならサヨウナラも言わずにサヨウナラ。
君が世界に必要とされなくてもボクが必要としてたり、世界を敵に回してでも君を守る人がいるのにボクは敵にしかなれなかったりする世界が好きだよ。ぬるぬる。沼。ぬるぬる。
結局はぬるぬるでもキビキビでも、世界を認めてあげるかどうかの問題だと思う。ボクは世界を認めてあげるから、世界にはボクを認めさせてあげる。世界愛してる。
人間は苦労した分だけ成長するとかお猿さんみたいな人が言うことがあるけど、人間はぬるぬるした分どうなるのか知らないのは罪だね。
無知は罪なり。
まあお猿さんなら仕方ないか、とかボクを納得させてあげることはあるし、ボクは好きだよ、動物園。愛してる。可愛いし。くっせぇし。
「うぉーーーーーーやってやるーーーーーー!!!!!おれはやるぞーーーーー!!!!!」
みたいに、ゴリラみたいに意気込むことがないって言ったらウソになるけど、まあゴリラだよね。カピバラのほうが可愛いよ。
半身浴が健康にいいのはぬるいからだって信じたいし信じさせてあげる。副交感神経がうんたらかんたら。副交感神経も愛してるよ。なんなのか全然しらないけど。
人生は半身浴でいいんじゃないのなんて名言を置いとくけど、アツアツのお湯でもいいよ。混ざり合っても混ざり合わなくてもいいし。
多様性を認めるということは、結局のところカオスを許容することで、ヤリがピストルに変わる感じ。ヤリで戦ってる人のところにピストル持ってても許されるよう世界のことを言うの。
半身浴中に熱湯ぶっかけられるみたいな。多様性は罪だよ。単一化よりはマシだけどね。命賭けないと熱湯かけられる世界。
多様性は認めることはできるけど認められることは許されないよ。
多様性は罪なり。
ボクは認めてあげるけど。認められることはないよ。
ぬるさを持つということはたぶんすごく勇気のいることで、まあでもぬるぬるでいくけど、ぬるぬるを自認してやるぐらいの勇気ぐらいもっときたいよね。
人生最高教の教祖様は「ぬるさが最高」というけど、本当にその通りだよ。キビキビやんごとなきパーソンは無視してぬるぬるすればいいよ。
「難しい時代だ」とか眼鏡かけた偉そうな人が言う世の中だけど、難しいことなんてなんにもないよ。
「自分をもて!!!」
なんてこの世で一番難しいことを眼鏡をかけた人たちは言うけど、「自分なんて持たなくていい」って言ってあげる。死んでも言ってあげる。
「生きて」
なんて重苦しいセリフは必要ないよ。他人なんて否定しちまえぐらいのタフさをあげる。心をこめてね。
人と人がうんちゃらかんちゃら、なんて少年ジャンプを読みすぎたひとたちは言うけど、君の腕が馬鹿みたいに伸びないなら君の言うことなんて信じないよ。君のバカみたいな妄信は大好きだけど。
「ぬるぬる生きろ!!!!!」
ぬるい言葉なのに厳しさに満ちてるの、笑っちゃうね。いいよ。ボクは多様性を信じてるから。
大丈夫。上手くいくし上手くいかないよ。人生だもん。全部含めて最高なの。
わからない君は馬鹿だよ。
ボクも世界も愛してあげるけど。
言いたいことは愛をこめてもこめなくても言っても言わなくてもいいよ。
ぬるぬるの中ではなんでもありだよ。
難しく考えたいときは難しく考えればいいし、お猿さんになりたいときはお猿さんになればいい。
世界に認められるより、世界を認めてあげて。