人生は最高なんだよ

「人生は最高なんだよ」なんて言葉は時々、友人やらテレビやら本やらから聞こえてくる言葉で、ボクも「まあそうだよな~」とか「んなことないわ」とか思うことがあったり。人並みに聞いてきて人並みに感じていた言葉だと思う。

 

ボクが最近仲良くしてもらってる友達と言うか知らない人というか、なんなのか今までにない不思議な関係の不思議な女の子は「人生は最高なんだよ」しか言わない。

 

この子の「人生は最高なんだよ」は不思議な説得力と包容力を持っていて、何か本当に不思議で最高。最高。最高としか言いようがない。

 

「暗闇の中の一筋の光を追いかけろ!」みたいなネガ→ポジ言論じゃなくて、なんかもうポジティブで世界を包み込んでしまう感じが最高。最高。最高としか言いようがない。

 

この子の発言で「人生は最高なんだよ」以外にも大好きな言葉があって。「奇跡なんてものは出し惜しみするようなものじゃない。どんどん起こしていくもの」とかいう最強で最高の言葉。

 

「最強」とか「最高」とか「奇跡」とか、やんごとなきおごそかなお言葉をこんなに綺麗に簡単に使ってしまう人がこの世にはいるんだな。なんて感心しか浮かばなかった。

 

ボクのこの文章は詩人の最果タヒを意識して書いてるような気がするんだけど、タヒも「最強」「最高」「奇跡」みたいな言葉の使い手で、でもまあボクはその文章をなぞって想像力を働かせるしかないような存在。

 

でもこの言葉達の使い手が目の前にいて、実際に最高で最強で奇跡みたいな暮らしをしているのは本当に笑っちゃう。

 

「当たり前のことが奇跡なんだよ」とか「日常は奇跡に満ちてる」。こんなか弱い言説は早く死んでほしいけど「奇跡なんてものは出し惜しみするものじゃない」みたいなパンクで能動的な言葉は最高に大切にすべき。

 

なんやらかんやら悩んだりすることがあるけど、「人生は最高なんだよ!」って世界に言ってしまえば世界はなんかもう認めてくれる。少なくとも、今、ボクの人生は最高で、世界もそれを認めてるって確信がある。

 

とは言いつつ「最高じゃないこと」が出てくるのが人生とか言う最高なものでありまして。

 

んでも、「最高じゃない」ってわかった瞬間にそんなもの殺してしまえばいいだけの話。世界を殺すだけだから誰も何も傷つかない。最高の殺戮。殺してしまった世界だって他の誰かにとっては最高。その人はその世界で生きていけば最高。オケラだってアメンボだってみんな最高。

 

人生最高教の信者になってしまったボクとしては、教祖様であるその子はなんだか尊敬とか言うありふれた言葉では、形容できない存在で、まあ知らない人なんだけど。

 

「あなたに影響を与えた人は誰ですか?」みたいなアンケートがあったら、音速でその子の名前を書くレベル。偉人?先生?両親?そんなものクソ喰らえ。

 

人に影響を与える話をすると、まあボクもこんなのでもまあそれなりには人に影響を与えてきた方だと思う。けど、なんか認識できるのは「こじらせさせたなぁ~」みたいなものが大半で、与えてるのかもわかんないのに「影響受けないで!」なんてお子さんとクレヨンしんちゃんの放送を見てる立派な親御さんみたいな気持ちになったりする。

 

その点でも教祖様はまあなんかすごい。最高。知らない人だけど。お布施もしないしお祈りもしないけど。最高。バリカタ公務員だけど最高。

 

今ボクは確実に人生が最高で、やめられないんだけど、まあ周りにこんなこと思わせる最高の人になりたいなぁなんて考えてる。考えてはない。最高なところを見せるというか感じ取ってもらうだけでいい感じ。

 

「ほんとの幸せを探したときに愛し愛されたいと考えるようになりました。」なんて椎名林檎が歌ってたけど、探しても最高だし、探さなくても最高だし、愛しても愛さなくても愛されても愛されなくても最高だって言ってあげる。

 

なんか人生は最高だし、奇跡なんてものは出し惜しみしないからもう最強。

 

影響なんてたいそうなものは与えられるか知らないけど「人生は最高なんだよ」って何億回でも言ってあげる。人生は最高なんだよ。人生は最高なんだよ。人生は最高なんだよ。

 

最高に不思議な関係な最高な存在に捧げる、人生は最高なんだよってブログでした。