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コインの裏表

滑稽さと真剣さはコインの裏表だなぁなんて思ったりしていて、そのことについて書こうかなぁっと思ってる。

 

ボクが図らずもなのか図ったのか知らないけどもう少しだけ通うことになってる大学は私学の雄とか呼ばれてて、まあ名前を出すと「すごーい」なんて反応が返ってきたりする。その「すごーい」を多々利用してしまった人間としては、「そんなことないですよ」なんて言葉も頭がおかしくなりそうなほどの思考を経て使うことになってる。

 

村上春樹が出た(いた)学部にボクはいて、入ってからは「女抱きまくって物書きになって中退する」みたいなこと真剣に思ってた。というか思ってる。どうしようもないねっていう最高の賛辞を贈ってあげるよ。

 

この大学の人たちは、自分たちを「クソ野郎(クソ女)」だと思われることに快感を感じるみたいで、まあ漏れもせずボクもそっち側の人間。どうしようもないねって言ってあげたいけど。その言葉も褒め言葉になっちゃうからどうしたものかって感じ。

 

坂口安吾が茶番に寄せて、で言ってたように、物事を突きつめた後に突然それが崩壊することが滑稽であって美しさを持っていると思っていて、まあなんかボクが期待したような世界ではなかったのが、この大学の文学部とかいうところ。

 

「おもしろいことをしよう!」とか言ってしまった時点で面白くないよ。たとえば、本当に女癖の悪い親友が本気で一人の女の子に恋をしたとか、本当に面白いよ。たとえばの話だけど。

 

結局優秀とか言われる人たちは未来に対するプランをたててしまうところが、ボクにとっては悪いところと言うか、面白くないなぁと思ってしまうところで、ボクも結局ある程度のプランは立ててしまう面白くない人なんだと思ってる。

 

ボクが観光とかが苦手なのもこのせいなのかな。プランとかいうものを立ててしまった時点で予想外のことがおこらないし、まあプランをカチカチに立ててそれをぶっ壊しちゃうようなことがおこるのも面白いんだけど、とか頭の中がぐちゃぐちゃになる。たぶん、これが面白いってこと。

 

結局、生きて行くということは、真剣さを持ち合わせないと実現しないことで、そこには滑稽さがヘドロみたいにひっつきまわる。それを面白いと思えるか否か、ってことが、「人生を楽しむ」とかいうヘドが出るような自己啓発本にも書かれているようなことなのかなと思ってる。

 

足の遅い人が全力疾走してる姿は爆笑できるし、ボクみたいな泳げない人が必死こいて25mプールでもがいてるのも超面白い。良い悪いとかいう価値観でさばけないこと、さばかないことが楽しいんだなって思ってるよ。

 

 まあなんかボクの仲のいい人たちも先日社会とか言うものに出てしまったみたいだけど、どうでもいいね。どうでもいいねって思っててほしいよ。結局。真面目に働いても滑稽さは付きまとうし、滑稽を装っても真面目さはつきまとう。

 

「自分の好きなようにやりなさい」って言ってくれる人は絶滅寸前だけど、少しは世の中にいて、ボクもそっち側の人間でいたいと思ってる。無責任だけどね、貴方の人生には責任持てないよ。じぶんで精いっぱい。

 

怖い上司もウザイ同僚も結局じぶんで精いっぱいなんだから適当にやればいいよ。コインの裏表なんだから。裏か表かなんて投げてみないとわからない。投げることはとても大切だけどね。ボクもぱっぱとコイン投げないといけないなって、まあ投げてはいるんだろうけど。

 

肯定も否定もない世界が好き。好悪はあるけどね。善し悪しでの判断が面白さを消してしまうよ。地獄とか言われてる社会に出たみなさん、適当にやってください。やりたければやればいいし、やめたければやめればいいよ。ぜんぶ面白いです。

 

「ふ~ん」って言ってあげる適当さだけは持ち合わせて生きているはずなので、決断のときは適当に話してください。「ふ~ん」って言ってあげます。がんばれるだけがんばってくださいって話。滑稽で最高にクールです。