人と違うこと

ついさっき大学の友達から大学院合格の知らせが届いた。大学院というと、大学に入る前は華々しい世界だと思っていたけど、大学院生さんとか先生とかの話をきいたり、見たりしていると、そうじゃないんだなって。大学院に行く気もさらさらないのに夢破れた気がしてた。

「文系の大学院なんて行っても就職できない」みたいなことを言う無責任な人が世の中にはたくさんいて、就職をゴールかなんかと考えてるような言動を取る人もいっぱいいる。ひとつのことに専念して勉強していく大学院に入るなんてほんとうにすごいことだと思うけどな。「人と違うことをしたい」って言ってた人が、方針もなくたくさんの会社を受けること、ボクは軽蔑するよ。どんな仕事も「人と違うこと」だし、「人と違うか違くないか」なんて気にせずにじぶんの好きなことをするような人がボクはこのうえなく好きだ。

「個性を尊重しましょう」。ボクたちの世代がうけていたゆとり教育の合言葉。個性を尊重するように強制する画一化だったってボクは知ってたよ。「じぶんの好きなことだけをやりなさい!」なんて言ってくれる大人はだれもいなくて、いろいろなひとがいていろいろなことがあってどれもこれも素晴らしい、ってことばっかり教えてくれたね。絵ばっか描いてる子がいると「少しは勉強もしなさい。絵でお金を稼げる人なんてほとんどいないの!」だって。結局ぜんぶできないとダメじゃん。もう個性なんて考えてる暇ないよ。じぶんの絵褒められたばっかだったのに。

年を重ねるごとに、「現実」とかいうものがボクたちに重くのしかかってきて、あーだこーだ言われたり、あーだこーだ言ったりする。いい高校生は一生懸命受験勉強して、いい大学に入って、いい大学生は一生懸命就職活動をして、いい会社に入るんだって。いい会社員になってからは、いい奥さん旦那さんを見つけて、しっかりとした子供を育てるのがいいんだって。たぶん「現実」なんてそんなもんだよ。

「現実」には絵もなければ音楽もない。みんな宿題の算数ドリルを解くように暮らしてる。そのときに出た宿題を解いていれば褒められるし、解かなくても忘れちゃってもなくしちゃっても軽蔑される世界だ。じぶんでじぶんに宿題を出すこと、それを解くことが許されない世界。本当につまらなそうな世界。じぶんでじぶんに宿題を出せる人、解ける人ホントに好き。じぶんで出した宿題が「現実」が出した宿題と一緒ならそれを解ける人も大好き。

大学院に行くなんてことは「現実」とはかけはなれたことなのかもしれないけど、本当にどうでもいいね。行きたければ行けばいいし、嫌になったらやめちゃえばいい。絵が好きなら絵を描けばいいし、音楽が好きなら音楽を作ればいい。「現実」なんて簡単にぶっ壊せるよ。って言い続けたいし、大学院に行く人たちにはぶっ壊し続けてほしいよね。もう「現実」なんてぶっ壊しちゃったんだし。「それが何になるの?」なんて聞かれても「わたしも知らない」って言い返せるようなタフさで。

「人と違うこと」したいならぶっ壊し続けないといけないのとってもだるいけどとっても楽しい。トマトの話。ボクはトマトが嫌いで、友達は大好き。「人と違うこと」してると嫌われるかもしれないけど、たぶんトマトみたいなもんだよ。大好きな人もいれば大嫌いな人もいる。否定されるとムカツクけど、まあトマトみたいなもんだよな。で乗り切れる。トマトなんて簡単に潰れるかもしれないけど、青いうちはまだ堅いよ。とにかくいけるとこまでいけばいいって、友達にもじぶんにも言ってあげたい。そんな気持ち。